世紀と十世紀のビザンツ帝国における宦官は、宮廷宦官、聖職者宦官および一般宦官の三種類に分けて考察することが出来る。
- 宮廷宦官についての最もまとまった史料は、晩餐会席次係長フィロテオスが亡備録として著した『席次一覧』である。フィロテオスは席次一覧で、十に及ぶ宦官専用の官職名と八つの宦官専用の爵位を記している。宮廷宦官の最高位は「寝室長官」で、彼の許には皇帝首席衣装官、皇帝食卓長、皇妃食卓長、大宮殿管財長、大宮殿管財長補佐、皇帝給仕長、皇妃給仕長、マグナウラ宮殿管財長、ダフネ宮殿管財長の九名の係長が控えていた。寝室長官は、皇帝の最も信頼する側近の一人で、同時に武器の携帯を許された皇帝のボディーガードの一人でもあった。宮廷宦官は皇帝の「支配の右腕」として権勢と富を一身に集めることが出来た。何故なら皇帝座そのものが不安定であって、皇帝は絶えず対立皇帝や反対勢力の反乱、宮廷革命、暗殺を恐れなければならなかったからである。そうした危険から身を守るため、皇帝は信頼の置ける側近を常に必要とした。宮廷宦官こそ皇帝の側近には打ってつけの存在であった。何故なら宦官は、自ら皇帝となることはビザンツ国内の不文律により不可能とされたからである。他方、宮廷内で富と権力を得ようとする宦官にとっては、皇帝の信頼が不可欠であって、そのため皇帝に対する忠誠心は他の廷臣を上回ったのである。
- 聖職者宦についての史料としては、唯一まとまっているのはオフリドの大主教テオフラクトスが著した『宦官擁護論』がある。テオフラクトスは、去勢は天国に至る道であり、自らの貞節と純粋さのための去勢こそ神の意志に適う行為であるとする。聖職者並びに修道士宦官こそ天国に至ろうとする人間が求める究極の姿であると主張する。テオフラクトスの主張がビザンツの人々に受け入れられたことは、宦官修道士専用の修道院の建立、九名の宦官総主教の存在からも明らかである。宮廷において富と権力を求めた宮廷宦官とは対照的に、聖職者・修道士宦官は「聖性」の極致として人々から崇められた。ここにギリシャ正教会の持つ特異性の一つがある。
- 一般宦官については、皇帝レオーン六世の「去勢禁止令」がある。それによれば、官僚も一般市民も闇の去勢手術を行い、或いは第三者に委託している。それは、宦官が高価であって、宦官を一種の商品として扱うことが出来たたことによるものといえよう。また去勢手術を受ける或いは受けさせられる者には、奴隷と自由市民がいた。奴隷は、去勢手術を受ける或いは受けさせられれば、自由身分となれるという大きな利点があった。奴隷であれ、自由市民であれ、宦官は「資格不要の職業人」として、宮廷、教会、修道院して一般家庭で生きてゆくことが出来た。
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